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ON THE ROAD ( by Jack Kerouac )

On_the_road © 2010 河出書房新社

「ビートのバイブル」といえば1957年に発表されたこの小説。(*1)

「ビート好き」っていうとかっこいい、みたいな風潮がちょっとかっこ悪いというイメージがあります。
「好きな歌手はスティング」っていうとわかってるーみたいなのと同じように。(別にビートにもスティングにも恨みはありません)

そして私の中では、ビートというと夜じゅうお酒やドラッグやって寝不足でシャワーもちゃんと浴びてなくて、文字通りビート(くたびれた)な状態・・・といったイメージなので、最近はお酒も控え目・早寝早起きの健康的な生活を心がけている私としては、読んでいるとちょっと具合が悪くなってきそう、という理由でつい敬遠してしまいます。
まあでも、実際には別にそういう小説を読んだからといって二日酔いになるわけでも寝不足になるわけでもなく、結局アメリカの小説や映画が好きであれば、ビートは避けては通れない道です。あ、道だ。ロードだ!(*2)
 
ケルアックの「地下街の人びと」は数年前に読んだのですが、肝心のこの「オン・ザ・ロード」は、ずいぶん前から本屋さんで見かけるたびに、そのうちねと思っていました。たぶんもうちょっと薄かったらもっと早く読んでいたと思います。
1年前ぐらいから、もうそろそろ読んでみるか、と思っていたら、今年6月に河出文庫から青山南さんの新訳版が出て、結果的にこれを待っていたみたいな感じになりました。

私はブコウスキーとブローディガンも読む前はビートだと思っていたのですが、ブコウスキーが活躍したのはビートジェネレーションよりもっと後だし、ブローディガンはビートニクは好きじゃないと言っていたそうです。
でもふたりとも名前はなんとなくビートっぽい響きじゃない?長いからかな?でもミルハウザーは長くてもビートっぽくない。

以前から「ビートニク」という言葉はちょっと不思議だなぁと思っていました。グループを表すのに「ニク」ってつく言葉は他にない。
これはあるコラムニストが、この小説が発表された1957年に打ち上げられた「スプートニク」をもじって「非アメリカ的なもの」という意味をかけて言ったのが初めだそうです。なるほどねー。

私が観たビートを題材にした映画で、すぐに思いつくのは「バロウズの妻」(*3)と「死にたいほどの夜」(*4)。
しかしこれらを観ようと思ったのも、キーファーとキアヌが出ているからという理由で、ビートとは関係ありませんでした。
 
「死にたいほどの夜」にも出てくる、「結婚して白いフェンスの家に住む」というのは、アメリカではイコールおとなになる・落ち着くといった放浪とは対極の生活の象徴らしく、それらを求めているにも関わらずどうしてもそうなれない、というシチュエーションはドラマや映画でよく見かけます。
甲斐性のある男性を探しているはずなのに、なぜかだめんずにひっかかってしまうみたいな感じですかね。
(注:この例えはフィクションであり、実在の私とは一切関係ありません)

そういえば、ある映画で「放浪の日々」というセリフを英語では「Kerouac days」と言っていました。
私はこのDVDを英語字幕で観ていたときだったから気づいたけれど、聞いただけでこれを「放浪の日々」と理解するには、まずはケルアックの名前を知っていて、こういう小説を書いているということも知っていて、その前に「Kerouac days」を聞き取れないといけない!字幕なしの道のりは遠いなぁと思いました。

今まで、この小説のタイトルは、「路上」や「路上にて」と訳されていたのが、今回は「オン・ザ・ロード」となっています。
確かに直訳すると「路上にて」なんだけど、たった3語を日本語で言い換えただけなのに、私は印象がまったく違うものに感じます。

映画や小説・曲の邦題って、気にしてみるとおもしろい。

英語をそのまま日本語に置き換えただけの直訳でも、「オン・ザ・ロード」とは逆に英語と日本語で印象がまったく同じに感じるのは、ポール・オースターの小説の中で私が一番好きな
「In The Country of Last Things 」=「最後の物たちの国で」

邦題は知っているけどそういえば原題ってなんていうんだろう?と思い、それを知って驚いたのは
「Dr. Strangelove 」=「博士の異常な愛情」
これ邦題素晴らしいよね!こう来るとは思わなかった!

しょーもなくて笑っちゃうのが
「Must Love Dogs」=「理想の恋人 .com」
これはダイアン・レイン演じるバツいちの女性が、出会い系サイトに登録してみるというストーリー。
アメリカではこういうサイトは日本よりも気軽に使っている感じです。彼ら、ブラインド・デート好きだしね。
で、この「Must Love Dogs」(犬好き)というのは相手に求める条件の項目によくある言葉なのだそう。
まあ、意訳としては理想の恋人をインターネットで探すっていう内容をきちんと表してはいるんだけど、だからって「ドット・コム」はひどい!映画のチケット買うときにちゃんと「理想の恋人ドット・コム1枚ください」って言った人がいるとは思えない。

もうひとつ、邦題が興味深くて、先日も兄と熱い議論(?)を交わすこととなったのが、Chicagoの大ヒット曲「Hard to say I'm sorry」が「素直になれなくて」という邦題になっていること。

アメリカ人はとにかくよくけんかをしてよく謝る。付き合い始めた恋人たちが初めてけんかをした後にうれしそうに「our first fight だね」と言う場面は多くあります。けんかをすることによってより親密な関係になるということなのでしょう。
親子で言いあい、なんてことも日常茶飯事。その後彼らはすぐに反省し謝る、そして赦す。(*5)ハグをして一件落着。
キリスト教で、「罪を告白して赦しを得る」というのが重要な信仰儀礼であることも関係しているのだと思いますが、こういう状況に慣れていない日本人の私からすると、そんなにすぐ謝るならあんなこと最初から言わなきゃいいのに!と思ってしまいます。
何かの映画で、たとえ殺人のような重大な罪であってもその後に必ず赦されるチャンスがあるのに対して、自殺というのは本人がすでにいないために赦すチャンスを与えられない、ということが最も重い罪とされている理由だと言っていました。(他にも「自己への愛を否定しているから」「神が有する生と死への絶対的主権を拒絶するものだから」など、理由はいろいろあるようです)
だから自殺をした人は、生前どんなに熱心な信者だったとしても教会で葬儀を行うことはできないんだって。
 
なんの話だっけ?

Chicagoの話だ。
アメリカ人にとっては「Hard to say I'm sorry」は「素直になれない」感じなのだろうけど、日本人にとって「素直になれない」というのは、「好きなのに冷たくしちゃう」とか「なかなか好きって言えない」みたいな感じです。
兄がこの日米文化の違いとしてまとめたことは、「アメリカ人は素直に好きって言えない、なんてことないんだろうね」
納得。

Chicagoの話じゃなくて、「オン・ザ・ロード」の話でした。
つまり私が言いたかったのはただ、今回「オン・ザ・ロード」をそのままにしたのはよかったと思う、ということです。

この小説の舞台は40年代。ケルアックはバップが好きで、チャーリー・パーカーやマイルスの名前も頻繁に登場しますが、当時彼らはまだ新人で、バップも生まれたばかり、NYのバードランドもオープンしたてです。
今でこそ、この小説も教養として読まれることもあると思いますが、当時はビートもバップも流行りものだったわけです。
昔はおとなたちに不良の音楽などと言われていたビートルズも今ではなんのお咎めもなく聴くことができるし、時代が変わるというのはほんとうにいいことで、今こういう昔の音楽や小説が簡単に手に入ることをとてもありがたいと思います。

この小説では、エルパソとニューオリンズを通る南のルートや、シカゴやソルトレイクシティーを通るルートをたどりながら、NYとサンフランシスコを何度も行ったり来たりします。当時は「ビートニク=非アメリカ的」だったかもしれませんが、ただひたすら同じ眺めの砂漠を車で横断するなんて、「アメリカ的」以外のなにものでもありません。
これは、ビートジェネレーション以降に、ロード(放浪)を題材にした映画などが多く作られているからでしょう。

そして月並みですが、ケルアックを語るときに欠かせないのがやはり表現の美しさ。
卑猥なセリフなのにディーンが言うとそれがとてもロマンチックな表現に聞こえるし、ペンシルバニアのことを「ペンシー」、サンフランシスコのことを「フリスコ」、コヨーテもいないような荒野のことを「コヨーテ・ノーウェア」と言ったり、かわいらしい響きの言葉がたくさん出てきます。

全編を通して素敵なフレーズばかりですが、楽しく悩んで5つを厳選してみました。
「どんなに飲んでも、吹きさらしのトラックに風が突進してくるので酔いはぜんぶ吹っとび、気持ちよさだけが腹にたまる。」
「太陽はブルゴーニュの赤が一条走った葡萄をつぶした色で、畑は愛とスペインの神秘の色になった。」
「なにを言っているのか、まるでクリアではなかったが、なにが言いたいのかはピュアですこしクリアだった。」
「ぼくは好きなことが多すぎて、いろんなことをごちゃごちゃにしたまま、流れ星から流れ星へと走りまわったあげく落っこちるというのだ。」
「まったく想像がつかない旅だった。最高にわくわくした。今度はもう東西ではない。魔法の南なのだ。」

小説や音楽というのは、その言葉・メロディーがシンプルで親しみやすいものであればあるほど、読み手・聞き手がすんなり受け入れてしまうため、生みの苦しみが隠れてしまいます。(創り手としては別にそれを見せたいわけではないのだろうけど)
ふだんはそんなことを気にしていなくても、自分でちょっと手紙を書いたり鼻歌を歌ってみたりするだけで、シンプルで美しいものを創造することがいかに難しいかを実感して、改めてその作者への尊敬の念が湧いてきます。

この小説を読んで私がいちばん心に残ったことは、話をすることの重要性です。
ディーンはいつでもサルに話したいことがたくさんあって、彼らはたくさん話をします。大陸を横断してまで会いに行って話をしたい相手がいるって素敵なことです。
そしてサル(ケルアック)はその人のことを書きたかった。それを読んだ私もこの本について書きたかった。表現するというのは素晴らしいことです。

ただひとつ問題なのは、これだけ長々と感想らしきものを書いているのに、ほとんど小説の内容と関係ないということ。
人生においても、本の感想を書くときにも、寄り道はするものだということがよくわかった一冊でした。

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*1 あのピンチョンも「偉大なアメリカ小説の一つと信じている本」と言っています。
この文章が書いてある「スロー・ラーナー」の序文で彼は、20年前に自分で書いたものを読むことはエゴにとって打撃になる、とも言っています。確かに。

*2 「道路」と「ロード」の発音が似てるっておもしろい。
あと、以前道路標識に「鹿骨・Shishi-bone」って書いてあるのを見て、なんで骨だけ英語なの?! と思ったら、「bone」は「ボーン」ではなく「ぼね」でした。一瞬「シシボーン」かと思うよねぇ?

*3 原題はずばり「BEAT」
キーファーはウイリアム・バロウズ役。彼の代表作「裸のランチ」のタイトルはケルアックがつけたとか。
ちなみにバロウズの妻役はコートニー・ラブ。

*4 原題は「The Last Time I Committed Suicide」。これは原題も邦題もけっこう好き。
「オン・ザ・ロード」のディーンのモデルになったと言われているニール・キャサディーの物語で、キアヌは友人のハリー役。
同じ青山南さんの翻訳で出ている「スクロール版 オン・ザ・ロード」には、キャラクターたちのモデルになったニール・キャサディーやギンズバーグ、バロウズなどが実名で登場するそうです。彼らのファンだったらこれは堪らないだろうなぁ。

*5 「apology accepted」っていうフレーズがいかにも赦す文化っぽい。
日本だったらaccepted以前に「こっちこそごめんね」ってなるよね。

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