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2010年10月

THE UNTOUCHABLES

The_untouchables © 1987 Paramount Pictures.

この20年間、私が好きな映画TOP5(*1)に常時ランクインしている映画。

1990年頃にはこの映画をはじめ、「モブスターズ」「バグジー」「ビリー・バスゲイト」など、ギャング映画が多く公開されていて、好きなジャンルのひとつでした。

「モブスターズ」は、4人のイタリア系ギャングの若かりし頃を描いていて、中心人物はクリスチャン・スレータ―演じるラッキー・ルチアーノ。
どうせ私のことなので、クリスチャン・スレーターとパトリック・デンプシーが出てるから、という理由で観に行ったんだと思います。なにしろ副題が「青春の群像」っていうぐらいだから。

ラッキー・ルチアーノはビジネスとして組織を統合することに力を注いだ人物で、イタリア4大マフィアのひとつ「コーサ・ノストラ」の最高幹部。どんな商売においても、合理的に経営していくべきだと気づく人はちゃんと現れるものです。
「ルチアーノ家」は1930年代に組織されたNY5大ファミリーのひとつで、現在のファミリーの名称は1960年代にすべて変更されたそう。ちなみに「ルチアーノ家」は現在では「ジェノベーゼ家」。イタリアンマフィアなだけあって美味しそうな名前!

「バグジー」は、1940年代当時まだ小規模なギャンブルしか行われてなかったラスベガスに、巨大ホテル・フラミンゴを建設したベンジャミン・バグジー・シーゲルの物語。バグジーを演じているのはウォーレン・ビーティー。彼はフェミニストとして有名だったそうで、こんなシーンがありました。
バグジーの仕事相手か誰かがバージニアのことを「あの女」という感じで呼んだとき、彼が「彼女は”女”じゃない。バージニアだ」と言うのです。
私が高校生のとき「男尊女卑について」という課題の作文があり(今思うとひどい課題だな)それがちょうどこの映画を観た直後だったので、このエピソードを書いた覚えがあります。高校生の私はこのシーンを見て、彼が彼女を尊重していると感じたんですね。その作文、他にどんなこと書いたのか読んでみたい。
この映画でバージニア・ヒルを演じているのはアネット・ベニング。彼女はこの強く美しいキャラクターにぴったりで、当時の私の「素敵な女性」のイメージそのままでした。

「ビリー・バスゲイト」に出てくる大物ギャングはNYで活躍したダッチ・シュルツ。ビリーは彼の子分。ダッチ・シュルツは死の直前に意味のわからない言葉を残したことでも有名で、バロウズの小説にもなっています。
この映画は、ダスティン・ホフマン、ブルース・ウィルス、スタンリー・トゥッチ、二コール・キッドマンなど大物俳優さんがたくさん出ているのに(しかも二コール・キッドマンのヌードまで登場するのに)あまり知られていないです。ま、私も内容あんまり覚えてないけど。

これらの映画はギャング側が主役です。一方「アンタッチャブル」は警察側が主役。
この映画はキャラクター設定・ストーリー・音楽・衣装・ひとつひとつの台詞まで、どこを取っても素晴らしい!
「映画」というものを知らない人(火星人かなにか?)に映画について説明するとしたら、この映画を見せればいいと思います。

この映画でまず素晴らしいのは、それぞれのキャラクターの登場シーン。

いちばん最初に出てくるのはロバート・デ・ニーロ演じるアル・カポネ。
もう彼は登場シーンから憎たらしい!出てくるたびになんだかやけているところも、オペラ見ながら笑い泣きするところや法廷で余裕であくびしているところなんかも、毎回きー!むかつくー!って思います。

ケヴィン・コスナー演じるエリオット・ネスの登場シーンも、ショーン・コネリー(*2)演じるマローンと出会うシーンも、短いけれどそれぞれの誠実なキャラクターがわかりやすく描かれています。
カナダ国境の小屋でマローンが死人を相手に演技するシーンもよくできてるよねー。

そして、お決まりのわかりやすさで登場するのが、アンディ・ガルシア演じるストーン。
ここでのマローンも「煽り方いろは」というものがあるとすればまさにそれ。
アンディ・ガルシアがこの数年後に出ている「ゴッドファーザーPART3」を見たときに、まだ若いのにアル・パチーノにもひけをとらずに堂々たるもんだなぁ、と思ったのですが、この「アンタッチャブル」でも登場シーンからすでに十分な存在感があります。

チャールズ・マーティン・スミスは、登場シーンをはじめ根っからのアカウンタントですが、現場に行って銃を撃ったりすることがだんだん楽しくなっていく様子が観ていても楽しい。
彼がエレベータの中で殺されているシーンで、壁に「Tochable」と書かれている(決して買収されないために彼らにつけられた「Untochables」に対抗した言葉として)のを見て、中学生ながらこういうのはやはり英語のまま理解できた方が意図が伝わるなぁと、英語を勉強する励みにしていたものです。

この映画でケヴィン・コスナーが「Chicago」と言う発音がとても印象に残っています。カタカナにすると「シカーゴゥ」。
これはまだわかりやすいですが、地名は日本語の発音と全然違って「え?」って思うものもあります。
「Manhattan」は「マンハーラン」という感じで、これはほんとに知らないと全く聞き取れないです。初めて「SEX AND THE CITY」で聞いたときは、マンハッタンのことだとは気づかなかったぐらい。でもこのドラマではしょっちゅう出てくるので鍛えられました。
あと、「Capone」は英語では「カポーン」。これはちょっとかわいい。「カポネ」の方が悪者っぽい。

ギャング映画の醍醐味のひとつは、上等なスーツとソフト帽がびしっと決まっているところ。ショーン・コネリーだけはベレー帽とハンチング帽のあいのこみたいなかわいい帽子です。
この映画の衣装はジョルジオ・アルマーニ。(*3)
以前、父の誕生日にかっこいいジャケットでもプレゼントしようと思い、「どんなのがいい?」と聞いてみたところ、「アンタッチャブルに出てくるみたいのがいい」と言われました・・・。そりゃあいいよねぇ、アルマーニだから。

映画を観ていてわくわくするのは半分ぐらいは音楽のおかげです。
この映画の音楽はエンリコ・モリコーネ。彼は数年前に大河ドラマ「ムサシ」の音楽もやっていました。
アル・カポネが登場するときに流れる曲や手入れに向かうシーンの曲など、映画音楽の見本みたいです。
そして有名なユニオン・ステーションの「乳母車のシーン」(*4)
集中して見張りしなきゃいけないのに、ケヴィン・コスナーは乳母車の母子が気になってしょうがない。
このシーンでバックに流れている不吉な感じの音とメリーゴーランドのような音が、緊張感をより引き立てています。

ブライアン・デ・パルマ監督の映画はとても「映画っぽい」映像です。
映画に向かって「映画っぽい」という表現するのはどうかと思いますが、例えば「ミュージック・ビデオっぽい映像」とか「ドキュメンタリーっぽい映像」というのがあるような感じで、画の構成(カメラワークっていうのかな?)や画自体の色・質感に関しても、この映画だけでなく「ミッション・インポッシブル」「スネーク・アイズ」「ファム・ファタール」など、彼の映画が私の中での「映画らしい」イメージです。

最近のTVドラマや映画と違って、このころは銃の扱い方がうそっぽい。
撃つとき以外はちゃんと銃口は下に向ける、とか、構えるときはちゃんと両手で、とかが全くなっていません。

私が去年グアムで初めて射撃体験をしたときも、まずそれらを教わりました。
射撃のランクには「EXPERT」「SHARP SHOOTER」「MARKSMAN」「BEGINNER」という4種類があるようで、私はアクション映画なんかでイメージトレーニングを積んでいる(?)おかげか、なんと「SHARP SHOOTER」でした。実生活ではなんの役にもたたないんだけど嬉しかったなぁ。
まあでも、これは一発ずつゆっくり狙って撃ったからで、ジャック・バウアーみたいにばんばん撃って全部当たる、なんていうのはやっぱり相当な訓練をしているのでしょうね。(当たり前です)
リボルバーの後にオートマチックを試したら、ちょー楽ちん!オートマチックが開発されるわけだ、と思いました。
きっとこれが出始めの頃は、リボルバーで育ったおじさんたちが「オートマチックなんて邪道だ!」とか言っていたに違いない。でも彼らも使ってみると「やっぱり楽だなぁ」と思ってるんだよ。
以前勤めていた会社でも、いつまでもドラフターを使っていたおじさんがふたりぐらいいました。設変のときとか楽だからCAD使いましょうよ。

ケヴィン・コスナーなんか銃を片手に子供を抱いたりして、あぶないよーってはらはらします。
まあでも、いくら嘘っぽくても大好きな映画だとそれさえも愛おしい。
毎回遅刻されても惚れた男だと許せちゃうのと同じですね。(これが気になりだしたらおしまいです)

とにかくこの映画は、タイトルコールから最後の台詞まで全てべたなんだけど、私にとっては満点の映画です。
「Love is blind:恋は盲目」とはよく言ったもので、好きになっちゃうといいところしか見えない、といういい例でした。

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*1 好きな映画TOP5に入る映画って10本ぐらいあるような気がする。

*2 サントリーのコーヒー「BOSS」のキャラクターでパイプをくわえている男性が、私にはショーン・コネリーに見えます。父はクラーク・ゲーブルに見えると言い、私はクラーク・ゲーブルがジョージ・クルーニーに見えます。
あとポッカのコーヒーの人は絶対ロバート・レッドフォードだと思う。
なんか「ー」の多い人たちだな。

*3 数年前銀座にできたアルマーニタワー(あの葉っぱ?の外装についてはふれるまい)の中にレストランがあると聞いたとき、何のレストランなんだろう?と思ったけど、イタリアンに決まってるか。やっぱりドレスコードは「アルマーニ」なのかしら?

*4 世間ではこんな名前で呼ばれてないと思います。
他に我が家で有名なのは、「リオ・ブラボー」の「植木鉢のシーン」と「ゴールドフィンガー」で爆弾のタイマーが「007」で止まるシーン。あと兄妹の会話でよく出てくるのは「リーサル・ウェポン」の治外法権が無効になる台詞。どんな会話なんだか。

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ON THE ROAD ( by Jack Kerouac )

On_the_road © 2010 河出書房新社

「ビートのバイブル」といえば1957年に発表されたこの小説。(*1)

「ビート好き」っていうとかっこいい、みたいな風潮がちょっとかっこ悪いというイメージがあります。
「好きな歌手はスティング」っていうとわかってるーみたいなのと同じように。(別にビートにもスティングにも恨みはありません)

そして私の中では、ビートというと夜じゅうお酒やドラッグやって寝不足でシャワーもちゃんと浴びてなくて、文字通りビート(くたびれた)な状態・・・といったイメージなので、最近はお酒も控え目・早寝早起きの健康的な生活を心がけている私としては、読んでいるとちょっと具合が悪くなってきそう、という理由でつい敬遠してしまいます。
まあでも、実際には別にそういう小説を読んだからといって二日酔いになるわけでも寝不足になるわけでもなく、結局アメリカの小説や映画が好きであれば、ビートは避けては通れない道です。あ、道だ。ロードだ!(*2)
 
ケルアックの「地下街の人びと」は数年前に読んだのですが、肝心のこの「オン・ザ・ロード」は、ずいぶん前から本屋さんで見かけるたびに、そのうちねと思っていました。たぶんもうちょっと薄かったらもっと早く読んでいたと思います。
1年前ぐらいから、もうそろそろ読んでみるか、と思っていたら、今年6月に河出文庫から青山南さんの新訳版が出て、結果的にこれを待っていたみたいな感じになりました。

私はブコウスキーとブローディガンも読む前はビートだと思っていたのですが、ブコウスキーが活躍したのはビートジェネレーションよりもっと後だし、ブローディガンはビートニクは好きじゃないと言っていたそうです。
でもふたりとも名前はなんとなくビートっぽい響きじゃない?長いからかな?でもミルハウザーは長くてもビートっぽくない。

以前から「ビートニク」という言葉はちょっと不思議だなぁと思っていました。グループを表すのに「ニク」ってつく言葉は他にない。
これはあるコラムニストが、この小説が発表された1957年に打ち上げられた「スプートニク」をもじって「非アメリカ的なもの」という意味をかけて言ったのが初めだそうです。なるほどねー。

私が観たビートを題材にした映画で、すぐに思いつくのは「バロウズの妻」(*3)と「死にたいほどの夜」(*4)。
しかしこれらを観ようと思ったのも、キーファーとキアヌが出ているからという理由で、ビートとは関係ありませんでした。
 
「死にたいほどの夜」にも出てくる、「結婚して白いフェンスの家に住む」というのは、アメリカではイコールおとなになる・落ち着くといった放浪とは対極の生活の象徴らしく、それらを求めているにも関わらずどうしてもそうなれない、というシチュエーションはドラマや映画でよく見かけます。
甲斐性のある男性を探しているはずなのに、なぜかだめんずにひっかかってしまうみたいな感じですかね。
(注:この例えはフィクションであり、実在の私とは一切関係ありません)

そういえば、ある映画で「放浪の日々」というセリフを英語では「Kerouac days」と言っていました。
私はこのDVDを英語字幕で観ていたときだったから気づいたけれど、聞いただけでこれを「放浪の日々」と理解するには、まずはケルアックの名前を知っていて、こういう小説を書いているということも知っていて、その前に「Kerouac days」を聞き取れないといけない!字幕なしの道のりは遠いなぁと思いました。

今まで、この小説のタイトルは、「路上」や「路上にて」と訳されていたのが、今回は「オン・ザ・ロード」となっています。
確かに直訳すると「路上にて」なんだけど、たった3語を日本語で言い換えただけなのに、私は印象がまったく違うものに感じます。

映画や小説・曲の邦題って、気にしてみるとおもしろい。

英語をそのまま日本語に置き換えただけの直訳でも、「オン・ザ・ロード」とは逆に英語と日本語で印象がまったく同じに感じるのは、ポール・オースターの小説の中で私が一番好きな
「In The Country of Last Things 」=「最後の物たちの国で」

邦題は知っているけどそういえば原題ってなんていうんだろう?と思い、それを知って驚いたのは
「Dr. Strangelove 」=「博士の異常な愛情」
これ邦題素晴らしいよね!こう来るとは思わなかった!

しょーもなくて笑っちゃうのが
「Must Love Dogs」=「理想の恋人 .com」
これはダイアン・レイン演じるバツいちの女性が、出会い系サイトに登録してみるというストーリー。
アメリカではこういうサイトは日本よりも気軽に使っている感じです。彼ら、ブラインド・デート好きだしね。
で、この「Must Love Dogs」(犬好き)というのは相手に求める条件の項目によくある言葉なのだそう。
まあ、意訳としては理想の恋人をインターネットで探すっていう内容をきちんと表してはいるんだけど、だからって「ドット・コム」はひどい!映画のチケット買うときにちゃんと「理想の恋人ドット・コム1枚ください」って言った人がいるとは思えない。

もうひとつ、邦題が興味深くて、先日も兄と熱い議論(?)を交わすこととなったのが、Chicagoの大ヒット曲「Hard to say I'm sorry」が「素直になれなくて」という邦題になっていること。

アメリカ人はとにかくよくけんかをしてよく謝る。付き合い始めた恋人たちが初めてけんかをした後にうれしそうに「our first fight だね」と言う場面は多くあります。けんかをすることによってより親密な関係になるということなのでしょう。
親子で言いあい、なんてことも日常茶飯事。その後彼らはすぐに反省し謝る、そして赦す。(*5)ハグをして一件落着。
キリスト教で、「罪を告白して赦しを得る」というのが重要な信仰儀礼であることも関係しているのだと思いますが、こういう状況に慣れていない日本人の私からすると、そんなにすぐ謝るならあんなこと最初から言わなきゃいいのに!と思ってしまいます。
何かの映画で、たとえ殺人のような重大な罪であってもその後に必ず赦されるチャンスがあるのに対して、自殺というのは本人がすでにいないために赦すチャンスを与えられない、ということが最も重い罪とされている理由だと言っていました。(他にも「自己への愛を否定しているから」「神が有する生と死への絶対的主権を拒絶するものだから」など、理由はいろいろあるようです)
だから自殺をした人は、生前どんなに熱心な信者だったとしても教会で葬儀を行うことはできないんだって。
 
なんの話だっけ?

Chicagoの話だ。
アメリカ人にとっては「Hard to say I'm sorry」は「素直になれない」感じなのだろうけど、日本人にとって「素直になれない」というのは、「好きなのに冷たくしちゃう」とか「なかなか好きって言えない」みたいな感じです。
兄がこの日米文化の違いとしてまとめたことは、「アメリカ人は素直に好きって言えない、なんてことないんだろうね」
納得。

Chicagoの話じゃなくて、「オン・ザ・ロード」の話でした。
つまり私が言いたかったのはただ、今回「オン・ザ・ロード」をそのままにしたのはよかったと思う、ということです。

この小説の舞台は40年代。ケルアックはバップが好きで、チャーリー・パーカーやマイルスの名前も頻繁に登場しますが、当時彼らはまだ新人で、バップも生まれたばかり、NYのバードランドもオープンしたてです。
今でこそ、この小説も教養として読まれることもあると思いますが、当時はビートもバップも流行りものだったわけです。
昔はおとなたちに不良の音楽などと言われていたビートルズも今ではなんのお咎めもなく聴くことができるし、時代が変わるというのはほんとうにいいことで、今こういう昔の音楽や小説が簡単に手に入ることをとてもありがたいと思います。

この小説では、エルパソとニューオリンズを通る南のルートや、シカゴやソルトレイクシティーを通るルートをたどりながら、NYとサンフランシスコを何度も行ったり来たりします。当時は「ビートニク=非アメリカ的」だったかもしれませんが、ただひたすら同じ眺めの砂漠を車で横断するなんて、「アメリカ的」以外のなにものでもありません。
これは、ビートジェネレーション以降に、ロード(放浪)を題材にした映画などが多く作られているからでしょう。

そして月並みですが、ケルアックを語るときに欠かせないのがやはり表現の美しさ。
卑猥なセリフなのにディーンが言うとそれがとてもロマンチックな表現に聞こえるし、ペンシルバニアのことを「ペンシー」、サンフランシスコのことを「フリスコ」、コヨーテもいないような荒野のことを「コヨーテ・ノーウェア」と言ったり、かわいらしい響きの言葉がたくさん出てきます。

全編を通して素敵なフレーズばかりですが、楽しく悩んで5つを厳選してみました。
「どんなに飲んでも、吹きさらしのトラックに風が突進してくるので酔いはぜんぶ吹っとび、気持ちよさだけが腹にたまる。」
「太陽はブルゴーニュの赤が一条走った葡萄をつぶした色で、畑は愛とスペインの神秘の色になった。」
「なにを言っているのか、まるでクリアではなかったが、なにが言いたいのかはピュアですこしクリアだった。」
「ぼくは好きなことが多すぎて、いろんなことをごちゃごちゃにしたまま、流れ星から流れ星へと走りまわったあげく落っこちるというのだ。」
「まったく想像がつかない旅だった。最高にわくわくした。今度はもう東西ではない。魔法の南なのだ。」

小説や音楽というのは、その言葉・メロディーがシンプルで親しみやすいものであればあるほど、読み手・聞き手がすんなり受け入れてしまうため、生みの苦しみが隠れてしまいます。(創り手としては別にそれを見せたいわけではないのだろうけど)
ふだんはそんなことを気にしていなくても、自分でちょっと手紙を書いたり鼻歌を歌ってみたりするだけで、シンプルで美しいものを創造することがいかに難しいかを実感して、改めてその作者への尊敬の念が湧いてきます。

この小説を読んで私がいちばん心に残ったことは、話をすることの重要性です。
ディーンはいつでもサルに話したいことがたくさんあって、彼らはたくさん話をします。大陸を横断してまで会いに行って話をしたい相手がいるって素敵なことです。
そしてサル(ケルアック)はその人のことを書きたかった。それを読んだ私もこの本について書きたかった。表現するというのは素晴らしいことです。

ただひとつ問題なのは、これだけ長々と感想らしきものを書いているのに、ほとんど小説の内容と関係ないということ。
人生においても、本の感想を書くときにも、寄り道はするものだということがよくわかった一冊でした。

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*1 あのピンチョンも「偉大なアメリカ小説の一つと信じている本」と言っています。
この文章が書いてある「スロー・ラーナー」の序文で彼は、20年前に自分で書いたものを読むことはエゴにとって打撃になる、とも言っています。確かに。

*2 「道路」と「ロード」の発音が似てるっておもしろい。
あと、以前道路標識に「鹿骨・Shishi-bone」って書いてあるのを見て、なんで骨だけ英語なの?! と思ったら、「bone」は「ボーン」ではなく「ぼね」でした。一瞬「シシボーン」かと思うよねぇ?

*3 原題はずばり「BEAT」
キーファーはウイリアム・バロウズ役。彼の代表作「裸のランチ」のタイトルはケルアックがつけたとか。
ちなみにバロウズの妻役はコートニー・ラブ。

*4 原題は「The Last Time I Committed Suicide」。これは原題も邦題もけっこう好き。
「オン・ザ・ロード」のディーンのモデルになったと言われているニール・キャサディーの物語で、キアヌは友人のハリー役。
同じ青山南さんの翻訳で出ている「スクロール版 オン・ザ・ロード」には、キャラクターたちのモデルになったニール・キャサディーやギンズバーグ、バロウズなどが実名で登場するそうです。彼らのファンだったらこれは堪らないだろうなぁ。

*5 「apology accepted」っていうフレーズがいかにも赦す文化っぽい。
日本だったらaccepted以前に「こっちこそごめんね」ってなるよね。

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