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夏への扉 ( by Robert A. Heinlein )

The_door_into_summer © 1957 The Ballantine Publishing Group.

<概略>

ロバート・A・ハインラインが1957年に発表した小説で、SF小説が好きな兄に勧められて読みました。
私はSFにはあまり興味がなくほとんど読んだことがないのですが、小説をジャンルでカテゴライズして苦手意識を持ってしまうのはもったいないと実感した1冊です。

<分析>

・夏

主人公ダンが飼っている猫のピートは、家にある11の扉のうちの少なくともひとつは夏へ通じているという確信を持っていて、その扉を探すのを決してあきらめようとはしません。
この小説に惹かれた大きな理由のひとつに、タイトルにも使われている「夏」という言葉があります。
夏生まれで夏が大好きというのは珍しくもないですが、私にとって「夏」というのは単なる季節を表す言葉ではなく、すべての楽しいこと・うれしいこと・幸せなことの象徴なので、タイトルからして私の愛読書になるのは必然だったようです。

・発明品

主人公のダンはマシン・エンジニアで、お掃除ロボット「ハイヤード・ガール」万能ロボット「フレキシブル・フランク」製図マシン「ドラフティング・ダン」などを開発します。
これは1957年当時にどこまで現実味があったのかわかりませんが、ドラフティング・ダンは今では設計者なら誰もが使っているCADのことだし、物のないところを自動的に掃除し充電器の場所へちゃんと帰るというロボットも、現在ではすでに珍しいものではありません。
私は大学で機械工学を勉強し、卒業してから機械設計の仕事に携わってきましたが、初めてこの小説を読んだのは私が社会人になって数年目、設計のおもしろさがわかってきた頃でした。
ダンがこれらのマシンのアイデアを語ったり、コストダウンのためにいかに市販の部品を利用するか、故障の際のメンテナンスはどのようにすれば効率的か、といった開発・製造・販売する過程が私にとって理解しやすかったというのも、私がこの小説を気に入った大きな要因でした。

・タイムトラベル

この物語にはコールド・スリープとタイムマシンが登場し、ダンは1970年→2000年→1970年→2001年を旅します。
タイムトラベルを扱った物語にはタイムパラドックスがつきものですが、私にとって重要なのはいかにそれらを考えさせることなくストーリーが進んでいくかであり、そのテンポがよければそれらの矛盾点(そりゃーおかしい点もでてくるよねー)はあまり気になりません。

ダンは元々1970年で生活していた人なので、1回目のコールドスリープで2000年に行ったときは新しい言葉や洋服などに戸惑っていましたが、そこでたった半年ほど過ごしただけで、もう一度1970年に戻ったときに多くの不便を感じていたのが、ありそうなことだと思いました。
20年前に戻れるとしたら懐かしくてちょっと楽しそうですが、映画館の上映時間を新聞で調べなきゃいけないってめんどくさいよなーと思います。i-podないし。

私はある本を読んでいる間に頻繁に聴いていたアルバムが、その物語のサウンドトラックのように感じてしまうことがよくあります。
物語の後半で、ダンが2001年の自分とリッキーにとってすべてが丸くおさまるように、あちらこちらを飛び回っている様子がOscar Petersonの「Call Me」という曲の軽快なピアノとぴったりなイメージで、私が「夏への扉」を映画化するとしたらテーマ曲はこの曲に決まりです。

・リッキーとピート

子供と動物が出てくるとヒットするとはよくいわれていることで、この小説にも女の子と猫が重要な役で登場します。
ただ、この物語の中では、ふたりとも単なる「かわいい存在」という感じではなく、たまたま主人公にとって信頼できるキャラクターが子供と動物だった、ぐらいな感じで、登場時間もそんなに長くありません。そんなわけで、猫が苦手な私でも大丈夫(?)でした。
リッキーがダンに小さい声で「お嫁さんにしてくれる?」というシーンと、コールドスリープから目覚める日付を「必ずしも今日ではなく、ダンが訪ねて来た日」に変更していたシーンは、微笑ましいと同時にちょっと感動的でもあります。(先日この本を読み返した後に「源氏物語」をこれもまたちょっと読み返していたら、紫の上がリッキーとダブってきてしまいました)

・ 翻訳書×原書

この小説は、日本では1963年に福島正実さん(彼は50年代から60年代に、日本で海外のSF小説を紹介することに尽力された方で、最相葉月さんの「星新一 1001話をつくった人」にたくさん登場しています)の翻訳でハヤカワSFシリーズとして発表されました。
私が兄からもらったのはこれが文庫化されたものです。

その後、アメリカに留学していた頃、よく通っていた本屋さんでこの原書を手に入れました。
いちど日本語で読んだことのある小説、しかもそれが自分の好きな小説であれば、英語で読むのも苦になりません。
昨年新たに、早川書房から小尾芙佐さんの新訳版が出ました。

両方を比べてみると、確かに福島さんの訳は今読むとちょっと古い感じで、小尾さんの新訳は読みやすくなっていました。
私にとってはやはり最初に読んだ福島さんバージョンが日本語版オリジナルという感じですが、これは単に私の思い入れの違いでしかなく、どちらで読んでも本来この物語が持っている軽快なテンポ感は変わらず、発明品の名前などの違いも些細なことでしかありません。

外国語から翻訳された本を読んでいるときにいつも考えるのは、いいと思ったのはストーリー自体なのか翻訳者の文章なのか・・・ということです。翻訳者に関わらず好きな作家がいたり、ある翻訳者が手掛けている作品に好きなものが多かったりするということは、恐らくそういった要素が混ざっているのでしょう。
しかし、日本語訳を読んでいると、多少理解できる原語(英語以外にはありませんが・・・)であれば、原書を読んでみたくなるものです。やはり元のニュアンスを感じ取れるのは楽しいもので、逆にひとつの原文が翻訳者によって違った文章として生まれ変わるというのも興味深いことです。

ちなみにここに載せた写真は原書の表紙です。
ピートと女性(たぶんリッキー?)が未来っぽいイメージで描かれていて、しかも絵がちょっと怖い。
それに比べて日本語訳の表紙はどちらもピートがメインの絵になっていて、新訳の方はさらにさわやかなイメージです。
私は本を読むときは必ずカバーを外すのですが、新訳版を購入してカバーを外してみると、それはそれはあざやかなブルーの本で、きっと夏への扉もこんなきれいな色をしているのだろうと思わずにはいられませんでした。

<結論>

私はこの本を読んで以来、たとえそれを見つけるまでに気が遠くなるほどたくさんの扉を開けてみなくてはならないとしても、夏への扉を探すのをあきらめたらいけない、と思っています。
私もピート同様、どこかに必ず夏への扉があるということを信じているからで、ダンも最後にこう言っています。
「You know, I think Pete is right.」

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